連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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シーロスタットと2吋半経緯台 1/5
~6cm(2吋半)経緯台(普及型)の高度・方位部分微動のルーツ~

更新日 2018.7.9

シーロスタットの話(1)

前回紹介した、昭和23年の礼文島金環日食について、五藤齊三著の『天文夜話』につぎのようにあります。

(写真)五藤齊三著『天文夜話 五藤齊三自伝』

↑五藤齊三著『天文夜話 五藤齊三自伝』

「ついで昭和四十四年(二十三年の誤り)の礼文島金環日食の時には、米国観測隊が我々の真似をしたいということでわざわざ訪ねてきて、そしてシーロスタットは重いため飛行機に積みにくいので、日本で終戦処理費を利用して作らせ、使用後は日本の大学に残して行くというつもりで持ってこなかったから、それを作って欲しいと、当時の東京天文台長萩原裕介(萩原雄祐の誤り)博士より、“米軍の命令だから慎重に扱うように”という手紙を添えて依頼があったこと。・・・」
また、萩原雄祐博士著の『星座の縮図』に、

(写真)萩原雄祐著『星座の縮図』

↑萩原雄祐著『星座の縮図』

「一九四八年の五月に北海道礼文島に金環日食があるというので天文台ではその準備にかかった。台員が焼け残った器機を集めるのにさえ骨が折れた。日食の前年の秋には礼文島の観測地へ小屋を建てた。五月の日食の準備をする頃はまだ雪が深くて工事ができないので、雪の前に作っておこうというのである。
その年の正月に風邪をひいて玉川の自宅で寝ていたところへ指令部のヘンショー博士がやってきた。ワシントンから手紙がきた。この金環日食に日本の天文学者に協力してもらいたい、ワシントンからは君を名ざしてきている、という。ではどんなことをするのかその手紙を見せてもらいたいといったら、見せられないといって隠す。チラとところどころに私の名が書いてあるのがわかったきりである。
二、三日して私は起きるとすぐ占領軍の工兵測量隊へ行った。そこではワシントンからの手紙を見せてもらってその要求の詳細を知った。天文台の器械は焼失してしまっている。シーロスタットをアメリカからもってくるよう頼んだが、不思議とこの返事はアメリカからは持ってこられないという。しらべると五藤工場がその素材をもっている。ところでこれを買い入れる予算である。・・・・・・・」とあります。


次回もお楽しみに。

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