連載 星夜の逸品 -児玉光義-

ドームなび GOTO投映支援サイト

望遠鏡最初の付属品 3/6
~世界的発明と称された『太陽投映機』~

更新日 2014.1.8

昭和9年の日食観測会で活躍した「太陽投映機」

この「太陽投映機」を、五藤齊三氏が大正12年(1923)の春に購入したという、日本光学製の3インチ望遠鏡に取り付けて、日食を観測している古い写真が今も残っています。

(写真)日食観望会で太陽投映機を操作する五藤齊三氏

↑(写真)日食観望会で太陽投映機を操作する五藤齊三氏

上の写真は、昭和9年(1934)2月14日に、ボルネオ島からセレベス海、ロソップ島、太平洋にかけて起こった皆既日食のとき、日本から部分食が見られたので、その観測会のときに撮影されたものです。日本光学製の3インチ望遠鏡に付けた「太陽投映機」を操作し、太陽像を室内に導くために奮闘中の五藤齊三氏です。

(写真)日食の始まる前に黒点の説明をする五藤齊三氏

↑(写真)日食の始まる前に黒点の説明をする五藤齊三氏

この写真は、五藤齊三氏が日食が始まる前に、太陽表面に見られる黒点などを説明しているところでしょう。室内を暗くすると、太陽像はこのくらいの大きさに投映することができるんですね。
ところで、昭和9年2月14日の日食は、ボルネオ、セレベスでは皆既が早朝に起こるので観測には適しない。そこで、日本の観測隊はトラック島の東南60海里のところにあるロソップ島に遠征しました。ほとんどが日本人で、東京天文台からは、早乙女清房博士はじめ福見尚文、窪川一雄、中野三郎、藤田良雄、服部忠彦の6名、東京帝国大学からは、田中務博士と小穴純の2名、京都帝国大学からは、上田穣博士はじめ荒木俊馬博士、柴田叔次、渡辺敏夫、森川光郎の5名で、コロナの写真観測、閃光スペクトルの撮影、相対律偏移などの観測をしました。その他、海軍技術研究所、逓信省電気試験所などからも観測隊が派遣されました。
この観測隊に参加した、京都帝国大学の荒木俊馬氏は、恒星社版の『天文と宇宙』昭和16年9月15日発行の第7版の付録に、「或る日の日記の一節 昭和九年二月十四日、ロソップ島日食皆既」と題して、この日食の思い出を書いています。それによると、荒木博士は、全くの専門外なので重要な役目はもたず、上田博士からたのまれて、接触時刻の測定を引き受けたということです。割り当てられた器械は、クランプのきかないぐらぐらな3インチの小望遠鏡で、しかも、サングラスを忘れて来たという。そこで、パラオ測候所長の川崎氏に六分儀用のサングラスを借りたが、アイピースに取り付けられず、太陽に向けておくのに骨が折れたと述べています。皆既が終わった後、一同が上田博士のところに集まって万歳を三唱し、荒木博士が上田博士に話しかけました。
「どうです、現像は今日やりますか」
「京都に帰ってからにします」
「たのしみですね」
「全くです」
「玉手箱ですね。白い煙が立ち昇るようなことはないでしょうね」
「大丈夫だと思います」
上田博士の答えは自信に充ちているように思われたそうです。

< 2.にもどる 4.にすすむ >

このページのトップへ