更新日 2019.2.4
今回の鏡筒について、アルミ製の対物レンズ枠も、回転式の接眼部も、薄い杉板の格納箱も、物資の乏しかった終戦直後の“普及型”の天体望遠鏡と考えたときに、なるほどと納得の行くものでした。こうして、当初から違和感を抱いていた「鏡筒バンド」と「方位回転軸」だけが残りました。
前にも述べたように、古い五藤式天体望遠鏡では、鏡筒が紙製で筒受けが使えなかった1インチ望遠鏡の「乙号」や「野外用」のものは別にして、ほとんどが筒受けを使っていました。
↑1インチ望遠鏡「野外用」の鏡筒バンド
それは、鏡筒が白色のエナメル塗装で、乾きが遅く、しかも、当時は焼付技術も低かったので、鏡筒バンドを強く締めたとき、塗装がくっついたり凹んだり剥がれたりしないように筒受けにしたのです。
↑昭和32年のカタログに現われた4吋高級赤道儀
従って、その後、鏡筒バンドが現われるのは、昭和32年の「4吋(102mm)高級赤道儀」が初めてです。
しかし、この時も1インチ望遠鏡と同じように、バンドの全面がべったりと鏡筒につくようなものではなく、ベルトの中間を大きく開けた、なるべく鏡筒に触れる面積を狭くしたものになっています。
↑昭和48年のカタログに現われた6.5cm屈折赤道儀(左端)
因みに、ベルトの全面が鏡筒に触れるようにした鏡筒バンドが使われたのは、昭和48年のNo.1031 6.5cm屈折赤道儀が初めてです。これは、昭和40年代にはじまった天体写真ブームに対応するために、鏡筒バンドにカメラ雲台を取付けるようにしたためです。
↑今回の鏡筒についていた鏡筒バンドと水平回転軸
このようなことから、今回の望遠鏡についていた鏡筒バンドと方位回転軸は、五藤光学とは別のメーカーで作られたか、自作されたもののように思います。
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